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仲田修子Blog
2010-02-20 10:58:35
復活しました。
一年と二ヶ月のウツ状態を脱して、一週間くらい前から躁状態になりました。

自分的にはうれしいのですが、医学的に見ると双極性障害(躁うつ病)においては、躁状態とはウツ状態の悪化した状態らしいので、喜んでよいのか判りません。

ほうっておいたので、このブログを読んでいる人も少ないとは思いますが、とりあえずそんな感じです。

現在ミッドナイトスペシャルは休業中で、修子さんは新しいユニットでの活動を再開しました。

次回は4月10日です。

吉岡秀晃+瀬山ブラザースのライブは来週の月曜2月22日にペンギンハウスであります。

どちらともよろしく!
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2009-04-06 18:38:27
ご無沙汰してます
瀬山です。

去年の八月から続いていた躁状態が今年の一月半ば頃落ち着き、それからウツ状態ではないのですが、まあ普通と言うか、そんな感じが続いております。

このブログも、私が躁状態パワーで書き進んでいたのですが、そんなこんなで、すっかり投稿しない日々が続いてしまいました。

さすがに以前のようなパワーで書き進むのは無理ですが、かと言って、このまま放っておく訳にもいかないし、アメリカ滞在記も途中だし、何とかします。

と言うわけで、とりあえず近況報告でした。
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2009-02-22 19:57:49
ペンギンハウスの向かいの火事の跡です
ペンギンハウスの向かいの一角が火事になったことはご存知の方も多いと思います。

2月になってやっと片づけが始まりました。

火事1.jpg

お茶屋さんと明太子屋&薬局の建物が解体されなくなり、その後の建物があらわになりました。裏の建物は二階部分がほとんど焼け落ちているのが分かります。

火事3.jpg

結局、この一角で無事だったのは角の肉屋ジャンプとその隣の魚屋うおこうだけだったようです。

火事2.jpg

上の写真の二階が丸焼けになっているのが「うおこう」の隣の紅茶屋さんです。庚申通りから見るとそんな被害にあった感じがしなかったのですが、こちらから見ると被害の程度が良く分かります。

他の店の取り壊しが始まる様子はありません。しばらくはこんな風景をさらしているのでしょうか?
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2009-02-10 18:32:18
MySpace に仲田修子のページができました。
音楽系サイト“MySpase”をご存知でしょうか?

MySpaceはミュージシャンが自分のオリジナル曲をアップできるサイトです。

そこに、仲田修子のページを作りました。現在6曲アップしています。

音源はビデオにもなった『狼の子守唄』の時のコンサートの音なのですが、CD用にビデオとは別にトラックダウンした音源を使っています。

このCD用の音は未発売なので、興味のある方は聴いてください。

仲田修子のMySpace
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2009-02-07 19:04:18
ボクのアメリカ滞在記 vol.7
ボクはドアを開けて出てきた黒人の女性に、自分が日本から来た日本人であること、ボビーの友人のミチコの日本の友人であること、そのミチコからボビーを紹介されたことを、つたない英語で告げた。

彼女は自分はボビーの妻であり、ボビーは今出かけているが、すぐに帰ってくるので中に入って待つようにと言った。

これから先も何度も同じようなことがあって驚かされるのだが、僕が訪ねた黒人たちは見も知らぬ日本人のボクをあっけないほど簡単に受け入れてくれるのだった。

これが逆の立場だったらどうなるだろう?と考えてみた。いきなり自分の家に友達の友達だと称する外国人が現れたら、ほとんどの日本人は警戒するだろう。ボクもきっとそうなるだろう。

ところが、ボクが出会った黒人たちは、良く言えばいい人たちばっかり、悪く言えば無警戒で、何か、マンハッタンは大きな下町なんじゃないかと思えたりした。

その頃のボクの英語力というのは、それは一人でアメリカに行くにはひどすぎるもので、喋れるとはお世辞にも言えないレベルだった。ほんとに片言、ブロークンだった。

しばらくすると、ボビーが帰ってきた。ボクはつたない英語で自己紹介をした。ボビーは自分は画家であると言って、自分が描いた絵を見せてくれた。

それは、鎧兜をつけた侍の水彩画だったが、日本なら素人でももっと上手い人が一杯いるだろうと思えるくらいの絵だった。

ボクが一番困ったのはボビーの英語だった。奥さんの英語は多分ボクにも分かるように簡単な言い回しをしてくれていたので何とか分かったが、ボビーの英語はさっぱり分からなかった。

たぶん、スラングだったんだと思う。それに、ボビーはボクとあっている間中、まるで煙草のようにマリファナを吸って飛んでいるのだった。

そんな相手との会話は困難を極め、ボクはカバンからコンサイスの英和と和英が一冊になった辞書を取り出し、引いては指で指し示した。すると、ボビーも同じことをし始めた。

ボクたちはイーストサイドの片隅のボロアパートの一室で、一冊の辞書を前に不思議なコミュニケーションをとりながら、不思議な時間を過ごしたのだった。
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