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仲田修子Blog
2009-01-18 19:19:29
マンハッタンの街を1時間ほど歩き回り、ボクはやっとYMCAを見つけた。それは、国連ビルとは違い古ぼけた小さなビルだった。
片言の英語で一週間宿泊することにしてチェックインした。部屋は殺風景で小さな机とベッドがあるだけだった。
シャワーに入ろうとシャワールームに行ってみて驚いた。そこはガランとしたスペースで、仕切りも何もなく、シャワーヘッドが五つか六つ壁から突き出ていた。
西城秀樹が歌ってヒットした『YMCA』の原曲の詞が、YMCAはゲイの溜まり場だという内容だということは知っていた。ボクはとりあえずシャワーに入るのをあきらめた。
ニューヨークに来た最大の目的はJAZZを聴くことだった。でも、何の情報もないし、とにかくニューヨークは怖い所だというイメージがあったので、日が落ちてから一人で出歩く勇気なんてなかった。
それじゃあ、いつまで経ってもJAZZは聴けない。
着いて二日位は明るいうちにMOMA(ニューヨーク近代美術館)へ行ったり、グッゲンハイム美術館に行ったり、国立博物館に行ったり、何しに来たのか分からないような、観光客生活をしていた。
頼りにしている人がいた。
ボクのドラムスの先生の山崎さんのお兄さんがニューヨークに住んでいたのだ。ボクは山崎さんにお兄さんに連絡してくれるように頼み、お兄さんの連絡先を聞いてきたのだった。
このままでは、何しに来たのか分からない。とにかく山崎さんのお兄さんに連絡しよう。
ボクは勇気を振り絞って、公衆電話の前に立ち山崎さんのお兄さんの番号を押した。
「私は東京から来た瀬山と言います。山崎弘さんからお話を聞いてますでしょうか」
当然、「ああ、聞いているよ、いらっしゃい」という答えを待っているボクに電話の相手は
「何も聞いてないけど、君、誰?」そう言ったのだった。
ああ!どうなるんだい!ボク!
2009-01-15 15:34:00
あの戦争、つまり太平洋戦争(大東亜戦争)とは何だったのか?
漠然とそう考える事は、以前からあった。
しかし、それはあくまで漠然とであって、それ以上深く考えることはなかった。昭和史、特に日中戦争から太平洋戦争に突入し、敗戦に至る歴史に興味を持ったのはここ二三年のことだ。
去年、文字通り私が漠然と考えていた事をタイトルにした本が出た。
『あの戦争は何だったのか』保阪正康著(新潮新書)
去年の暮れにはTBSテレビでドラマ化までされた今話題の本だ。
この本の優れているところは保坂氏の冷静な視点である。著者も書いているが、これまで太平洋戦争を語る時、なぜか右に大きく振れているか、左に大きく振れているか、その両極の人ばかりが発言や著作を行い、冷静に見直す作業をする人がいなかったか、無視されていた。
戦後は終わったなどと言いながら、ヒステリックにしかあの戦争を見ることができなかったのだ。
今の日本、そして今後の日本、自衛隊の問題など、色々なことを考える時、ぜひ読んでおきたい本だと思う。
絶対に太平洋戦争に対する意識が変わります。おすすめです。
ついでにもう一冊。
これは月刊誌なので、もう古本屋でしか手に入らないだろうが、文藝春秋20年6月号『大研究 昭和の陸軍 なぜ国家を破滅させたのか』の特集だ。
対談形式で読みやすく、あの戦争の問題点、責任者を切っています。
これもおすすめです。古本屋のサイトとかで簡単に手に入ると思いますので、興味のある方はぜひ読んでください。
2009-01-13 18:15:12
中野の都こんぶといえば、あの赤くて小さい箱に入っていて、キヨスクとかには必ず置いてあって、見つけるとふと食べたくなる、不思議な食べ物です。
本日、なんと袋入りの都こんぶを発見してしまいました。
縦20cm、横13cmの袋入りです。
場所は「おかしのまちおか」パル商店街店です。
今なら、まだ店頭にあります。この感動を味わいたい人は急げ!
2009-01-12 19:49:10
飛行機は朝の5時過ぎに、ニューヨークのJFK空港に着いた。
その時のニューヨークの空気が暑く感じられたのか、寒く感じたれたのか、それとも心地よかったのか、覚えてはいない。でも、季節は初夏、六月の半ばだったから、暑くも寒くもなかったんだろう。天気は曇りか晴れ、雨が降っていた記憶はない。
ボクは無謀にも、ニューヨークの宿泊先の予約をしていなかった。
それどころか、JFK空港からどうやってマンハッタンまで行くのかも知らなかったのだ。
今考えると、なんと無謀な行動だと思ってしまうが、行けば何とかなるだろう、と思っていた。
空港をうろついていると、マンハッタン行きらしいバス乗り場を見つけたので、早速そのバスに乗り込んだ。そして、バスはマンハッタンのどこかに着いた。その場所がどこだかボクには全然分からなかった。
時間は朝の六時頃。
どっちがアップタウンか、どっちがダウンタウンか、どっちがイーストサイドで、どっちがウエストサイドかも分からず、ボクは街をあてどもなくうろついた。
マクドナルドを見つけた。そんな時間なのにやっていたのだ。
ボクは店に入った。英語はほとんど話せなかったが、メニューを指差せば何とかなるだろうと思っていた。カウンターでメニューを見たボクはそこで固まってしまった。
何故って?
だって、メニューにハンバーガーが一つも載っていなかったから。
そう、その頃日本にはなかった「朝マック」の時間帯だったのだ。
ボクはイングリッシュマフィンを指差し言った。“This One Please”
とりあえず朝食をとれたボクは、YMCAを目指して歩き出した。予約はしていなかったが、YMCAに止まることだけは決めていたのだ。そこが、若者たちの安宿であることくらいは知っていた。
地図は持っていたのだが、コンパスは持っていなかったから、どっちが北だか分からない。多分こっちだろうと歩き出した先に、立派なビルがあった。ボクはきっとこれがYMCAに違いない!と勝手に思い込みそのビルへと突き進んだ。
ビルはすごく立派で、安宿であるはずのYMCAらしくなかった。入り口に書かれた文字を辞書で調べた。
そこは…国連ビルだった。
ボクは自分が北と南を間違っていることをその時に知ったのだった。
2009-01-11 18:29:58
飛行機の出発時間が過ぎて10分が経っていた。
部屋はあきらめムードで満たされていたが、女の子はまだ泣きじゃくっていた。その時。
ドアが開いて、厳しい表情をした女性の入国管理官が入ってきた。そして、「飛行機に乗っていいわ」みたいなことを英語で言った。
なんと、飛行機はボクたち三人のために、出発を遅らせて待ってくれていたのだった。
女の子は素直にはしゃいでいたが、本気で日本に帰されると思っていたボクは気が抜けたようになってしまい、喜びすらわいてこなかった。
なにか悪いことをして、これから怒られるのを覚悟して待っていたら、いきなり褒められたような、そんな肩透かしを食らわされた気分のまま、また飛行機に乗った。
ロサンゼルスに着いたのは夜だった。
ロサンゼルスからニューヨークへ行く一番安い方法はナイトフライトだった。それでも当時は片道40,000円もした。今じゃ考えられない値段だ。
ナイトフライトとはその名の通り夜、それも真夜中に飛ぶ便で、ニューヨークに朝の5時頃到着する予定だった。
飛び立った飛行機はロサンゼルスの街をなめるように低空で飛んだ。すぐ下に家並みが見えた。家々の明かりが眼下に、果てしなく広がっていた。あれを夜景と呼んでいいのならば、ボクが今に至るまでもボクが見た一番美しい夜景だった。
時差のせいと興奮のせいで深夜の飛行機でボクは眠れなかった。でも、目をつぶっていた。あの時、何を考えていたのかは思い出せないが、それは幸福な時間だったことは間違いない。
ニューヨークはすぐそこまで近づいていた。